犬の手も借りたい

私なりの意見や考えを周りの人から意見していただきたいです

虐待問題

最近ニュースで親が子供を虐待で・・・な事件起きてしまいました。

大変悲しいです。我々に何かできたかと言われれば難しいです。しかし何かを使って不特定多数に伝えることはできると思って頑張ります。

虐待というと

・家庭内の親が子供に対して暴力

・教育、養育機関での大人が子供に対しての暴力

・人が動物に対して暴力

などなど

聞くだけで胸が苦しくなります。しかし当事者たちは身体的に精神的に苦しい思いをしているはずです。

私が小学生のころ漢字の勉強をしているとき忙しい父が覚え方を教えてくれました。

「親」子供を木の上に立って見ているからだと

こういう風に覚えると楽だと言われたことを今でも覚えています。

漢字からも言えるように親とは子供を見守る存在なのです。言ってもこれは当てつけなので、しょうもない回答です。

ただ親にも言い分があるのはわかります。しかしその言い分を覆すほどの言い分が子供にはありません。

はい。子供にはありません。

子供に理屈はありません。それはまだ子供だから。子供という過程を誰もが通ってきたはずなのにある時を境に大人は子供よりの上だと勘違いしてしまう人がいます。

いつの時代も子供は宝であり守るべき存在でした。それが大人になっても心が大人に成りきれず、子供へ攻撃してしまう人がいるのです。

もしそんなことをしてしまう人が肩書上親ならば、本当に親失格です。

子供には説明や理由が必要なのではありません。

反復して経験させることが必要であり、経験していくほどわかるものなのです。

 

親ではなく保育園や学校などで起こった虐待にはどういった問題があるのか。

正直に言うと私はその立場になったことがないのでわかりません。なので問題視すべきことは調査不足だと思います。

教育機関が安全だという事が今ではわからないことになっていると言えると思います。なので第三者の調査機関が先生に対して調査することが良いと思いました。

 

動物に対して虐待する人、信じられません。そんな人大嫌いです。犬を蹴るなど。がニュースになったことがありますが、考えられません。

家で飼われる動物には大きく分けると2種類ですかね?

ペットと産業動物があげられると思います。

マンガ銀の匙ではこういうシーンがあります。

酪農家のペットと産業動物の差は何なのか。愛情の差?いいえ。どちらにも愛情があります。ならどうして命を奪っているのか。命をいただくという事が一体どういうことなのか。

他のシーンでは

酪農家の我々人間は産業動物の奴隷である。動物は人の下ではない。

こういったシーンを観て最初に思ったことは、なんて理不尽なんだと思いました。しかし、人間の方がよっぽど勝手な存在だと思いませんか?

土地がほしいから木を伐り、山を削り、動物の生きる場を奪う。食うものをよこせと動物を育て殺す。

しかし人間が生きるために酪農があることも確かです。どれも間違いではないです。

ただ正解を求めて人は考えていかなくては行けません。だからご飯を食べる前に

「いただきます」

というのです。

ペットには愛情をあたえ、癒しをもらうものだと私は思います。だからみんなペットを「家族」だというのです。

家族には、ペットだろうが子供だろうが産業動物だろうが理不尽に虐待することがあってはいけないと私は思います。

短い一生を辛い思いで終わらせていいものか。命の重さに差はない。だが切り捨てる命もあるという事。

人は考え続けられる限り考えることが必要である。

「人間の気持ちひとつで一生を左右されるんだもんなぁ。馬の気持ちがわかったら俺ら気がおかしくなるかもしれん。」

銀の匙より御影優志のセリフ