犬の手も借りたい

私なりの意見や考えを周りの人から意見していただきたいです

人はいつ死ぬのか #2

勝手にシリーズしてる#2ですが、話が続くと思わせて基本完結する内容です。

学生が直面している問題いじめ、家庭内暴力が原因による精神的な「死」を知っていますか?

命を落とすことが「死」であると言いましたが(前回)、それだけではないと思います。本来できることが本人の意思とは別に制限されてしまう事もある意味死に近いと私いは考えます。

どういった制限か私が考えるに

「意思の制限」が死に近しく苦しい事だと思います。

・親の虐待がひどくしたいことができない、さらに何もできなくなる。

・学校でのいじめが原因で自身の周りへ何もサインが出せなくなる。

こういったことがその人を本当の意味での死を考えさせてしまうのです。

このような人は助けてほしいサインが出せないことが最大のサインです。会話がなくなったり自ら1人の道を選ぶようになります。何をしても他の人へ迷惑になるという思考になってしまいます。

自身の意思を自身で殺すというのが「別の死」だと私は考えます。

人が死んでいるタイミングは心臓が動かなくなった時だけなのでしょうか?

生きていても死んでいる人はいるのかもしれないです。ただ死んでしまった人を生き返らせることはできないですが、生きているなら助けられる命であることには変わりないです。

身近な命を死んだままにするのか、助けて息を吹き返らせるのか。少しの行動で世界は変わり命は助かるというのが私の意見です。

春から新学期が始まり今周りにそういう人がいるならあなたの行動が変わるかもしれません。

そしてあなたの学校に「死人」が現れないことを祈ります。

人はいつ死ぬのか #1

㊟宣伝活動ではありません

最近悲しい死をニュースで見ることが多く色々考えています。

とくに未成年子供の死を見ることが増えているように感じています。

今回から「死」について書いていきます。

大学の人気講義をしている教授が「死について」やっているそうです。その本と近すぎず遠すぎずの内容を書いていきます。

 

人が死ぬ時とはいつでしょうか?一般的に死ぬタイミングは「心臓が止まった時」です。

本では他の死ぬタイミングについて書かれていました。簡単に言いますと今までの自分が自分ではなくなった時です。(難しいので気になる方は本を読んでください)

子供たちが死を体感することがあると私は思っています。

病気、事故、殺人、自殺

どれも悲しい死です。尊厳死などどこにもない悲しい死です。

病気だと医者やドナーやお金の力が必要なことが多くあります。本人の努力頑張りも大切で周りの人が助けること勇気づけることが必要だと言えます。

事故だと交通事故が多いでしょうか。他にも食事が関係する事故もあります。スポーツの事故もあります。保護者の注意力が原因だったり他人の注意力だったりします。車の事故だと運転手が悪いことが多いです。運転するのには免許が必要です。免許があるという事は気を付けて安全に運転できることが確認できた人に渡されるのです。どうしようもない事故もありますが。

殺人は人を殺す意味が分かりません。やめてください

自殺も本当にやめた方が良いと私は思っています。個人の自由だという人もいますが、自由に死ぬ意味は何ですか?世界の美しさを見つけてほしいと私は思います。世界に絶望しないでください。周りの人が100%悪いです。自殺に追い込んだ人が悪いです。自殺を考える人には救いの手が必ず出てきます。あきらめずにその手をつかんで離さないでください。

 

さらに私は命を落とすだけが「死」だとは思っていません。いじめやDVなんかで対象の人の行動言動の制限をかけることも十分「死」と同じ状態だと思います。生きていても「生」を実感できないならばそれは「死」なのかもしれません。

生きる意味は誰にも分らないです。生きる理由はそれぞれにあっていいのではないのでしょうか。

未来予想図-いわば革命-

未来予想図と言っても何をしたいか、などの目標をテーマにしているようなので当たりもしない予言はしませんw(誰も予言を期待していない)

いつも言っている気がするのですが、投稿頻度がしょぼくてごめんなさい。

もしかしたらという期待を込めて誰かが私のブログ読みたいと思っているかもしれないので頑張ります。

という事で目標は大きくしたいと思います。

このブログででっかくなります。YouTuberの時代に終止符を打つくらいの影響を与えて見せます。

ネットの世界は広いです。たくさんのユーザーがいます。良い人も悪い人もいます。全員まとめて私が対処できるほどの人間になります。

今はブロガーの中でも雑魚の部類です。文字で戦います。言葉は人を傷つけることもありますが、言葉で人の言うの命を守ることも可能だという事を示し助けます。ニュースでもあるように子供たちの助け舟になれるような存在価値を私は身に着けたいきます。

言葉とは

遊戯王より引用

「見えるんだけど見えないもの」

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虐待問題

最近ニュースで親が子供を虐待で・・・な事件起きてしまいました。

大変悲しいです。我々に何かできたかと言われれば難しいです。しかし何かを使って不特定多数に伝えることはできると思って頑張ります。

虐待というと

・家庭内の親が子供に対して暴力

・教育、養育機関での大人が子供に対しての暴力

・人が動物に対して暴力

などなど

聞くだけで胸が苦しくなります。しかし当事者たちは身体的に精神的に苦しい思いをしているはずです。

私が小学生のころ漢字の勉強をしているとき忙しい父が覚え方を教えてくれました。

「親」子供を木の上に立って見ているからだと

こういう風に覚えると楽だと言われたことを今でも覚えています。

漢字からも言えるように親とは子供を見守る存在なのです。言ってもこれは当てつけなので、しょうもない回答です。

ただ親にも言い分があるのはわかります。しかしその言い分を覆すほどの言い分が子供にはありません。

はい。子供にはありません。

子供に理屈はありません。それはまだ子供だから。子供という過程を誰もが通ってきたはずなのにある時を境に大人は子供よりの上だと勘違いしてしまう人がいます。

いつの時代も子供は宝であり守るべき存在でした。それが大人になっても心が大人に成りきれず、子供へ攻撃してしまう人がいるのです。

もしそんなことをしてしまう人が肩書上親ならば、本当に親失格です。

子供には説明や理由が必要なのではありません。

反復して経験させることが必要であり、経験していくほどわかるものなのです。

 

親ではなく保育園や学校などで起こった虐待にはどういった問題があるのか。

正直に言うと私はその立場になったことがないのでわかりません。なので問題視すべきことは調査不足だと思います。

教育機関が安全だという事が今ではわからないことになっていると言えると思います。なので第三者の調査機関が先生に対して調査することが良いと思いました。

 

動物に対して虐待する人、信じられません。そんな人大嫌いです。犬を蹴るなど。がニュースになったことがありますが、考えられません。

家で飼われる動物には大きく分けると2種類ですかね?

ペットと産業動物があげられると思います。

マンガ銀の匙ではこういうシーンがあります。

酪農家のペットと産業動物の差は何なのか。愛情の差?いいえ。どちらにも愛情があります。ならどうして命を奪っているのか。命をいただくという事が一体どういうことなのか。

他のシーンでは

酪農家の我々人間は産業動物の奴隷である。動物は人の下ではない。

こういったシーンを観て最初に思ったことは、なんて理不尽なんだと思いました。しかし、人間の方がよっぽど勝手な存在だと思いませんか?

土地がほしいから木を伐り、山を削り、動物の生きる場を奪う。食うものをよこせと動物を育て殺す。

しかし人間が生きるために酪農があることも確かです。どれも間違いではないです。

ただ正解を求めて人は考えていかなくては行けません。だからご飯を食べる前に

「いただきます」

というのです。

ペットには愛情をあたえ、癒しをもらうものだと私は思います。だからみんなペットを「家族」だというのです。

家族には、ペットだろうが子供だろうが産業動物だろうが理不尽に虐待することがあってはいけないと私は思います。

短い一生を辛い思いで終わらせていいものか。命の重さに差はない。だが切り捨てる命もあるという事。

人は考え続けられる限り考えることが必要である。

「人間の気持ちひとつで一生を左右されるんだもんなぁ。馬の気持ちがわかったら俺ら気がおかしくなるかもしれん。」

銀の匙より御影優志のセリフ

現役時代の受験の話

大学受験の話がしたいと思います。まだ受験が終わってない人もいるかなと思ってもし呼んでくれる人がいたら気分が変わってくれるかなと思う事を書いていきます。

スタート!!久々すぎて書き方忘れた…

私は高校の卒業式が終わっても進路が決まらないという

学年で唯一良い気持ちで卒業できない悲しい学生でした。

けどそういう学生がいること自体は何も不思議なことではなくいて当たり前なのでもしそういう状況になってもまぁ堂々としている方が気が楽ですよ。

焦ったっていいことないですしプラス思考で生活していきましょう。

周囲の友達が自動車学校の話をしていて気になる人はこう考えるといいです。

「自分は後でゆっくり免許とることができる。」

実際、焦って試験落ちて2回受けてる人とか普通にいたので落ちついて免許取りに行った方が運転もしっかり覚えられるので自動車学校のことなんか気にしなくていいと思います。

しかし受験生の時って色々考えちゃって大変ですけど、なるようにしかならないです。

まぁ高校の友達が人生における最高の友達かどうかわからないですし周りの言葉に耳を貸す必要…いや使う必要ないのでは?

そんなこんなで受験で大切なことは他の人の話を聞かずに自分だけを信じることですかね。

 

チームを感じるとき・・・(短め)

チームを感じるタイミングは人それぞれ違うと思いますが、

皆さんはきっと

「仲間意識」というものが1番にありそうですね。

きれいな言葉だと思います。「仲間」

私はチームを感じる瞬間があります。ひねくれていると一瞬感じるかもしれませんが、事実を語ります。

私がチームを感じるときは

「息苦しさを感じる時です。」

だから私に仲間はいないのです。

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正義って何?

最近、ふと考え事しているときに思ったのですが正義というものがわからないです。

マンガ アニメ 小説のヒーローが戦う相手が悪だと誰が決めているのか。ヒーローが悪だという可能性はなぜ生まれないのか。

攻撃することが悪なのか、人を傷つけることが悪なのか

ならば正義は悪と決めつけ攻撃しているだけの可能性はないのか。

悪とは世論が決めつけたものなのではないのかと。正義と悪の境界線がわからなくなってしまいました。悪にも正義があって、正義にも悪があるのではないかと。

極端な話、人を殺すことを悪としていいのかどうかというのも微妙なものと言えます。医者には生死を左右できるほどの職です。将来には安楽死が一般化される可能性もあります。助ける側の人間が命を絶つ決断をすることが果たして正義なのか。違うとしたら医者は正義ではないのか。

警察だって拳銃を持っています。日本の場合発砲する事件は多くはないですが、人を殺せる道具を持っています。

どうしてこんなこと考えるのか・・・

裁判の勝ち負けについて考えることがあったからです。

裁判にも種類がありますが刑事裁判では冤罪のケース以外はほとんど犯罪者が悪とみて進めていくイメージです。民事の場合だとどうでしょうか。金銭面であったり会社と従業員のトラブルなんかがよくある裁判ケースですが、民事だとお互いが正しいと思ってだ裁判していると思いませんか?

これってどっちに正義があって争っているのかわからないと思ってしまったんです。どっちも正しいからお互いに弁護士がつくわけなのです。それで公平な立場に裁判官がいて勝ち負けを決めています。

「勝ち負けで決めること」がイコール「正義」ではないことはわかります。なら正義が求めているものはなんなのか?

ヒーローがいるのだとしたらそれはどうしてヒーローなのか。正義を語れるのはヒーロー自身か、それとも世間の人間か、はたまた悪が悪として出てくるのか。