実家の横の一軒家
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
私が学生時代ここまで大きく育ててくれた(見えない)町にある実家の横には父の実家があります。現在は祖父が一人で住んでいますがまだまだ元気な感じです。祖母は私が受験シーズンに亡くなってしまいました。最後に話したことも覚えていないくらい受験中は隣に住んでいるのに忙しかったです。病院に運ばれたときにはもう話せる状態ではなくなっていました。今は1人暮らしで帰省した時は必ずお線香とあいさつはしています。
祖父は物欲がなく人と話すことが好きなので一緒にニュースを見て色々話しますね。後はそばとかラーメンとか麺類が好きです。たまに一緒に食べに行きました。
私が小学生のころには両親が共働きで兄は部活で帰ってきても誰もいなかったので隣の祖父母の家でゴロゴロするか、友達の家で遊んでいました。まぁ友達少ないのでほとんど毎日ゴロゴロしていました。他には将棋を教えてもらったりオセロ(リバーシ)を教えてもらったりしました。基本やる相手になってくれるわけでもなかったため1人でやってたんですが・・・
今!「将棋とオセロひとりでやってたの?!」とか痛い目で見た人!挙手!
まぁ1人でやってたせいもあって強いのか弱いのかわからなくて兄と母親とやったところ2人とも雑魚でした。父親にはどうしても勝てなかったのですが、強い相手がいるのは楽しかったです。年末やることなくなったらやっていますが今ではいい勝負をします。
話がそれましたが祖父母との一番の思い出は魚釣りですかね。カレイを釣りに行きました。入れ食いだったのをよく覚えています。祖母がお弁当を作ってくれてそれがとてもおいしかったのを今でも思い出します。甘辛いお肉に激アマ卵焼きそしておにぎり最高ですね。魚釣りをするときは祖父が道具を貸してくれて運転もしてくれてました。ただ今思えば祖父の釣り竿の管理も私がやっていたので単なる労働力だったのでしょうか?
まあ祖父母との思い出はこんな感じで今でも祖父とは仲良くさせていただいてます。
ここまで父方の話をしてきました。
母方の祖父母ですが、まず祖父は会ったことがありません。母が子供のころに病気で亡くなってしまったそうです。今なら治る可能性の方が高い病気だったそうです。きっと祖父のおかげでそういう今があるのでしょう。祖母は私が生まれた時から病院で寝たきりで私が小学生の時に亡くなりました。
こんな感じで思い出があるわけではなくとても悲しいです。会って話してみたかったです。母が言うにはとてもとても孫に甘い祖母だったそうです。甘やかされたかった…
それを気にしていたのでしょうか。父方の祖父母はとてもやさしかったです。それとも孫にやさしいのはあたりまえなのでしょうか?
現在私の両親には孫がいるのですが、でれでれのでれって感じです。
基本的におもちゃは何でも買ってあげており、孫は常に笑顔です。私は一緒に釣りはあっても買い物っていうのは子供のころにはなかったので少しだけうらやましいです。まあそんな子供に嫉妬するほど私も子供じゃないので私もお菓子とかたまに買ってあげちゃうんですけどね!
なんにせよ今私は幸せに生きていられているのでOKです。
こうやって子供は大人になって親になって年を取っておじいちゃんおばあちゃんになるんですね。