犬の手も借りたい

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平成生まれが感じる平成の終わり

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今週のお題「#平成最後の夏」

私は平成生まれの世間的に言う若者です。田舎の若者なのでちゃらちゃらしてませんがやはり感慨深いです。と言いたいですが、平成最後の夏であってもきっとまた夏は来るんだと思うので次の夏もまた暑いなと感じるのでしょう。

私的に感じていることは、今回失うものが「平成」という30年続いた時代という事です。これはすぐには感じることはないかもしれませんが歴史の1部になるという事です。今生きている時代が歴史になるってなんか不思議な気持ちになったりして、「最後の夏」とか考えてしまったのでしょうね。なんというかすごい発想力で初めて見たときは私も考えさせられました。

しかしそこそこ考えてみるとですが、やはり終わることが予めわかっていたとしても気持ちに変化が起こらないです。「今」を生きているのはその「瞬間」だけであって、その瞬間が一瞬で過ぎることでさっきまでの瞬間であった時間はすでに「過去」になっているのです。「最後だから」とか考えるのであれば生きているこの今の一瞬一瞬の行動にも儚さを感じています。今日から考える昨日は過去であるなら最後だからと考えて生きているのはやはり少しもったいないいつも時間の有限性に気づいていかなくては、また次の時代でも最後にしか気が付けないことになってしまいます。常日頃から時間の有限性を考えることが疲れるとかいちいち必要ないとか考えてしまう方はたくさんいるでしょう。

そんなときに私が思い出してしまう映画があります。

細田守監督の『時をかける少女』です。青春アニメ映画ですが、大人も見ても面白いタイプだと私は思っているのでお勧めです。タイムリープができるようになった女子高生の物語で「時間」について考えることができる作品だと言えます。ネタバレほどつまらないものはないのでこの程度で映画の紹介は控えさせていただきます。

この映画で過ぎ去った青春の日々を思い出し、今何すべきなのかそんなことを考えてしまいます。

結局人間というのは忘れてしまう生き物です。決意なんて言うものは有るようで無いようなものです。いかに日ごろから何かを考えていられるかという事です。いつも同じことでもなくても別のことでも思考をなるべく止めない生活は楽しいものです。それに過ぎ去った過去にさほど興味はありません。歴史も嫌いです。過去から学べることはたくさんあると言われます。それはよくわかります。なら今と過去は同じ状況にあるでしょうか?同じケースが毎回あるわけではないので常に新しく考えていくべきだと私は思います。それに過去を勉強してきた人間が間違えだと教えてきた争いごとが今も無くならないのはつまりそういう事なのでしょう。

平成最後の夏をどう過ごすのか考えるのであれば、これからの10年20年30年後の未来のことをどうしたいのかを私は考えたい。